UNION が2018年にエポックメイキングなコラボレーションをリリースして以降、定期的に協業を続けているシューズ AIR JORDAN(エア・ジョーダン)は、80年代中盤にNBAデビューを果たしたノースカロライナ大卒のルーキー、マイケル・ジョーダンのシグニチャーモデル AIR JORDAN 1として初めて市場に登場した。当時の80年代は、アートの世界ではNYの街中を主戦場にしていた KIETH HARING がアップカミングなアーティストとしてピックアップされ、スケートボードの世界では西海岸を中心に BONES BRIGADE が名を成し、音楽の世界では L.L.COOL J や PUBLIC ENEMY が東海岸ヒップホップの旗手となってデビューしており多方面でカルチャーの創成期の時代とされている。そんな彼らには共通点があり、「カルチャーの先駆者であったこと」と「AIR JORDAN を愛用していたこと」が挙げられる。AIR JORDANの、当時はまだ斬新であったデザインがファッション的であったことや、身長がそこまで高くないルーキー選手がその驚異的なジャンプ力を武器に活躍している姿に感化されたのか、仕事に使う衣装や道具として評価していたのかは当時の本人達のみぞ知り得るところであるが、事実としてあるのは現代においても AIR JORDAN はカルチャーのアイコンとして人種や性別を超えて愛されていることである。1985年にリリースされたバスケットシューズのプロモデル AIR JORDAN がなぜアイコニックな存在となったのか? 今回の KNOW THE LEDGE では HIPHOP / PUNK / ROCK など様々なアーティストに愛されてきたAJの史実を振り返り、改めてAJ がカルチャーアイコンとなった理由を探る。
AJ1 AND LL COOL J
若干17歳でプラチナディスクを獲得したLL COOL J。そのデビューアルバム「RADIO」の裏ジャケットでは当時のトレードマークであったKANGOLのハットにあわせてAJ1/BREDを着用していた。その後も現在に至るまであらゆるモデルを愛用していることが確認されている
AJ1 AND YOUTH OF TODAY
NY発ハードコアパンクバンドの YOUTH OF TODAY のボーカル Ray Cappo のユニフォームはレタードのスウェット、短くロールアップしたミリタリーパンツ、スケートソックスにハイカットのスニーカーであった。中でも1986年にリリースされた彼らの2ndアルバム BREAK DOWN THE WALLSのジャケットではAJ1(CHICAGO)を着用しているのが確認されている。
AJ1 AND GUNS N' ROSES
YOUTH OF TODAY と同時代ながらも対極のメインストリームにいたロックバンド GUNS N’ ROSES のギタリスト SLASH はライブやツアーにて AJ1を取り入れているのが多々確認されていた。バンドメンバーがダブルのライダースやデニムジャケットにブーツを合わせていてもAJ1 (ROYAL) を愛用しているカットが印象的であった。
AJ3 AND N.W.A.
ICE CUBE や DR.DREと共にコアメンバーであった EAZY-E は、COLTEZ以前にAJ3を愛用していたことが確認されており、音楽だけでなくファッションの面においても現代のアーティストに多大な影響を与えた。
AJ4 AND PUBRIC ENEMY
SPIKE LEEの代表作 DO THE RIGHT THING でも象徴的に使われていた FIGHT THE POWER が代表曲。結成メンバーであるCHUCK-D と FLAVOR FLAV は2名ともAJ4を着用、特に FLAVOR FLAV は AJ トラックスーツとトータルで着用するなど日頃から愛用していることが確認されている。
UNION が2018年にエポックメイキングなコラボレーションをリリースして以降、定期的に協業を続けているシューズ AIR JORDAN(エア・ジョーダン)は、80年代中盤にNBAデビューを果たしたノースカロライナ大卒のルーキー、マイケル・ジョーダンのシグニチャーモデル AIR JORDAN 1として初めて市場に登場した。当時の80年代は、アートの世界ではNYの街中を主戦場にしていた KIETH HARING がアップカミングなアーティストとしてピックアップされ、スケートボードの世界では西海岸を中心に BONES BRIGADE が名を成し、音楽の世界では L.L.COOL J や PUBLIC ENEMY が東海岸ヒップホップの旗手となってデビューしており多方面でカルチャーの創成期の時代とされている。そんな彼らには共通点があり、「カルチャーの先駆者であったこと」と「AIR JORDAN を愛用していたこと」が挙げられる。AIR JORDANの、当時はまだ斬新であったデザインがファッション的であったことや、身長がそこまで高くないルーキー選手がその驚異的なジャンプ力を武器に活躍している姿に感化されたのか、仕事に使う衣装や道具として評価していたのかは当時の本人達のみぞ知り得るところであるが、事実としてあるのは現代においても AIR JORDAN はカルチャーのアイコンとして人種や性別を超えて愛されていることである。1985年にリリースされたバスケットシューズのプロモデル AIR JORDAN がなぜアイコニックな存在となったのか? 今回の KNOW THE LEDGE では HIPHOP / PUNK / ROCK など様々なアーティストに愛されてきたAJの史実を振り返り、改めてAJ がカルチャーアイコンとなった理由を探る。
AJ1 AND LL COOL J
若干17歳でプラチナディスクを獲得したLL COOL J。そのデビューアルバム「RADIO」の裏ジャケットでは当時のトレードマークであったKANGOLのハットにあわせてAJ1/BREDを着用していた。その後も現在に至るまであらゆるモデルを愛用していることが確認されている
AJ1 AND YOUTH OF TODAY
NY発ハードコアパンクバンドの YOUTH OF TODAY のボーカル Ray Cappo のユニフォームはレタードのスウェット、短くロールアップしたミリタリーパンツ、スケートソックスにハイカットのスニーカーであった。中でも1986年にリリースされた彼らの2ndアルバム BREAK DOWN THE WALLSのジャケットではAJ1(CHICAGO)を着用しているのが確認されている。
AJ1 AND GUNS N' ROSES
YOUTH OF TODAY と同時代ながらも対極のメインストリームにいたロックバンド GUNS N’ ROSES のギタリスト SLASH はライブやツアーにて AJ1を取り入れているのが多々確認されていた。バンドメンバーがダブルのライダースやデニムジャケットにブーツを合わせていてもAJ1 (ROYAL) を愛用しているカットが印象的であった。
AJ3 AND N.W.A.
ICE CUBE や DR.DREと共にコアメンバーであった EAZY-E は、COLTEZ以前にAJ3を愛用していたことが確認されており、音楽だけでなくファッションの面においても現代のアーティストに多大な影響を与えた。
AJ4 AND PUBRIC ENEMY
SPIKE LEEの代表作 DO THE RIGHT THING でも象徴的に使われていた FIGHT THE POWER が代表曲。結成メンバーであるCHUCK-D と FLAVOR FLAV は2名ともAJ4を着用、特に FLAVOR FLAV は AJ トラックスーツとトータルで着用するなど日頃から愛用していることが確認されている。