新進気鋭のブランドやデザイナーを紐解く“Brand Features”。今回は「KidSuper」の創業者、コルム・ディレインにスポットライトを当てる。ブルックリンを拠点に、ファッションをアートに昇華させる「KidSuper」。2021年の「LVMHプライズ」でカール・ラガーフェルド賞を受賞し、一躍世界的な注目を集めると、2023年秋冬シーズンには「LOUIS VUITTON」のゲストデザイナーに抜擢され、その勢いは止まるところを知らない。
これだけを聞くと、コルムは正統派メゾンの系譜を引くデザイナーのように思えるだろう。しかし、彼は少年期から現在までサッカーに明け暮れ、レトロタッチのアーティストとしての側面を持ち、時にはアトリエに併設したレコーディングスタジオで収録に臨むなど、とても一言では言い表せない稀有な存在なのだ。
インタビューでは、2023年春夏シーズンより『UNION』にラインアップした「KidSuper」のオーナーに、インスピレーションやニューヨークの魅力、キャリアのハイライトについて話しを聞いた。
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ーはじめに、『UNION TOKYO』のファミリーに自己紹介をお願いします。
アーティスト、クリエイティブディレクター、そして「KidSuper」創業者のコルム・ディレインです。14歳のときにTシャツを作り始め、様々な困難や努力、そして感動的なストーリーを経て、『UNION TOKYO』のインタビューに答えているよ(笑)。
ーどのような経緯でブランドを立ち上げたのですか?家族からの影響など、現在のご自身の糧になっている経験や出来事を教えてください。
僕は、たくさんの旅を経験しながら成長したんだ!母はスペイン人で芸術的な感性に優れ、父は奇抜なアイルランド人。だから、2人はいつも僕の背中を押してくれて、社会が作り出したものに従うことが絶対ではないと教えてくれたんだ。ただ、とても厳格な一面もあって、ミスや失敗には厳しかったな。
ブランドを始めた理由は、12歳でニューヨークに戻ったことが転機になったんだ。それまではウィスコンシン州に住んでいたのだけど、そこではクールの定義は様々だった。でも、ニューヨークはファッションがクールを定義し、それが友人関係や趣味にも影響した。それでTシャツに絵を描くようになり、それがプリントTシャツに発展して、今に至るよ。
ー子どもの頃にニューヨーカーとして生活したことが大きく影響しているんですね。
間違いないね。ニューヨークにいなければ、僕が今までやってきたことは実現していなかったと思う。この街は情熱、努力、可能性に満ち溢れていて、常に新しい人々と出会い、繋がる機会があるんだ。洋服の最も素晴らしいところは、究極のコネクターであるということ。僕はみんなにシャツを提供して、みんなは僕のシャツを購入してくれるけど、もし僕の洋服を着ている人と出会ったら、僕らはその時点で友だちになる。ニューヨークは人と出会い、インスピレーションを得る素晴らしい場所だよ。そして、世界中から人が集まって、ひとつの地で成功を掴もうとする思想が大好きなんだ。エネルギーという観点では、ニューヨークに勝る場所はないよ。
ー「KidSuper」のデザインは遊び心に溢れ、とてもポップなタッチが特徴です。このような芸術的なデザインの源は何ですか?
難しい質問だね。僕は常に洋服を通じて、自己表現をしようとしてきた。僕に会ったことある人は、僕が色彩感覚豊かで、遊び心のある人間ということを知っていると思う。「KidSuper」は、僕が好きなもの、興味を抱くもの、突出していると感じるもの、そして会話を生み出すものを編集し、翻訳したブランドと思ってもらえるといいかもね。
ー高校時代は学生寮でTシャツを販売していたそうですね。当時の印象的な思い出を聞かせてください。
覚えているのは、最初のTシャツをニューヨークのストリートウェアショップ『Blaze』に持ち込んだことかな。僕がオーナーにTシャツを見せると、彼は「いいTシャツだね、どこのブランド?」と聞いてきたんだ。僕としては、ブランドはどうでもよくて、Tシャツが気に入ったかどうかが大切だったし、Tシャツもストアも共に良いものであれば需要があると思っていた。でも、彼は執拗に「どこのブランドなの?ブランドの詳細を教えてほしい」と聞いてきた。だから、僕は仲間のもとに戻って「大事なのはブランドやストーリーだけだ!」と嘆いたよ。今思うと、若いうちにそのようなことを学べたのは幸運だったかもね。
ー(ラッパーの)マック・ミラーがアルバム『Blue Slide Park』をリリースする際に、あなたのキャップを被っていたことがターニングポイントのひとつになったんですよね?ちなみに、もし「KidSuper」でマック・ミラーのプレイリストを作成するとしたら、最初の1曲は何にしますか?
そうきたか!そうだね、彼に会ったのは、初めましての場が最初で最後だった。ミュージックビデオの撮影現場だったのだけど、彼が僕に近付いてきて「君がTシャツの子だね!」と声をかけてくれたんだ。彼は僕の服を真剣に全部着てくれて、とても熱狂的だったのを覚えている。当時から有名だった彼が、やんちゃで明るく、楽しそうにしている場所に居合わせたのは、とても素敵な出来事だった。「ミステリアスで、シャイでなくても、クールな男になれるんだ」と思いながら帰路についたのを覚えているよ。プレイリストの最初の1曲は、大学時代によく聴いていた彼の曲のひとつ、“Frick Park Market”にしようかな!
ーあなたが愛するサッカーから学んだことはありますか?スポーツは「PUMA」とのコラボレーションをはじめ、デザインプロセスにも影響を与えていますか? もちろん!「PUMA」とチームアップした理由のひとつは、「PUMA」がペレやマラドーナ、エウゼビオ、クライフといったサッカー史に名を刻む偉大なレジェンドを擁していたからだよ。僕は協力することが好きなんだ。明確な目標を持ち、その目標を達成するために努力する。スポーツはまさに、それを具現化している存在だと思う。
ー「Louis Vuitton」から2023年秋冬コレクションのゲストデザイナーに招かれたことも未だ記憶に新しいかと思います。
パリでの初めてのランウェイショーは、両親に歩いてもらったんだ。ショーの2時間前に伝えたんだけど、信じてもらえなかったね(笑)。ショー直前に母と練習したときは、どこかキマってなかった。だから「ただ踊るのはどう?」と提案すると、母は美しいフラメンコを踊り、ショー全体を彩ってくれた。
「Louis Vuitton」との仕事では、手紙を書いて故郷に送るというコンセプトを掲げていて、その手紙をモチーフにしたアイテムはとても気に入っている。手紙をスーツに落とし込むほど素敵なことはないと思う。数年後も人々に記憶に残るアイテムだろうね。
ーパンデミックも終わり、きっとニューヨークにも観光客が戻ってきていると思います。コルムが拠点を置くブルックリンを満喫するためのオススメスポットを教えてください。
そうだね。まずは「KidSuper Creative Factory」がオープンしていたら、是非遊びに来てほしい!楽しい時間を提供すると約束するよ!
見どころ満載だから好みによるけど、僕の場合はサッカーが好きだけど、ニューヨークでサッカーコートを見つけるのは難しくてね。でも、ブルックリン橋の桟橋に美しいコートがあるんだ。自由の女神を一望しながらプレーできて、あそこは最高だね。映画が好きなら、映画を鑑賞しながら食事ができる「Nitehawk Cinema」もオススメ。あと、よく一緒にサッカーしていた友人が「Cafe Erzulie」というカフェをオープンしたから、そこもリストに入れておいてね。
ーファッション、アート、音楽。コルムと「KidSuper」には無限の可能性を感じます。今後のビジョンや叶えたい夢はありますか?
ブランドを拡大して、世界中に店舗展開したいと思っているよ!僕は多種多様なメディアで活動しているから、テレビ番組なのか、映画なのか、何が起こるかは今後のお楽しみに!
新進気鋭のブランドやデザイナーを紐解く“Brand Features”。今回は「KidSuper」の創業者、コルム・ディレインにスポットライトを当てる。ブルックリンを拠点に、ファッションをアートに昇華させる「KidSuper」。2021年の「LVMHプライズ」でカール・ラガーフェルド賞を受賞し、一躍世界的な注目を集めると、2023年秋冬シーズンには「LOUIS VUITTON」のゲストデザイナーに抜擢され、その勢いは止まるところを知らない。
これだけを聞くと、コルムは正統派メゾンの系譜を引くデザイナーのように思えるだろう。しかし、彼は少年期から現在までサッカーに明け暮れ、レトロタッチのアーティストとしての側面を持ち、時にはアトリエに併設したレコーディングスタジオで収録に臨むなど、とても一言では言い表せない稀有な存在なのだ。
インタビューでは、2023年春夏シーズンより『UNION』にラインアップした「KidSuper」のオーナーに、インスピレーションやニューヨークの魅力、キャリアのハイライトについて話しを聞いた。
ーはじめに、『UNION TOKYO』のファミリーに自己紹介をお願いします。
アーティスト、クリエイティブディレクター、そして「KidSuper」創業者のコルム・ディレインです。14歳のときにTシャツを作り始め、様々な困難や努力、そして感動的なストーリーを経て、『UNION TOKYO』のインタビューに答えているよ(笑)。
ーどのような経緯でブランドを立ち上げたのですか?家族からの影響など、現在のご自身の糧になっている経験や出来事を教えてください。
僕は、たくさんの旅を経験しながら成長したんだ!母はスペイン人で芸術的な感性に優れ、父は奇抜なアイルランド人。だから、2人はいつも僕の背中を押してくれて、社会が作り出したものに従うことが絶対ではないと教えてくれたんだ。ただ、とても厳格な一面もあって、ミスや失敗には厳しかったな。
ブランドを始めた理由は、12歳でニューヨークに戻ったことが転機になったんだ。それまではウィスコンシン州に住んでいたのだけど、そこではクールの定義は様々だった。でも、ニューヨークはファッションがクールを定義し、それが友人関係や趣味にも影響した。それでTシャツに絵を描くようになり、それがプリントTシャツに発展して、今に至るよ。
ー子どもの頃にニューヨーカーとして生活したことが大きく影響しているんですね。
間違いないね。ニューヨークにいなければ、僕が今までやってきたことは実現していなかったと思う。この街は情熱、努力、可能性に満ち溢れていて、常に新しい人々と出会い、繋がる機会があるんだ。洋服の最も素晴らしいところは、究極のコネクターであるということ。僕はみんなにシャツを提供して、みんなは僕のシャツを購入してくれるけど、もし僕の洋服を着ている人と出会ったら、僕らはその時点で友だちになる。ニューヨークは人と出会い、インスピレーションを得る素晴らしい場所だよ。そして、世界中から人が集まって、ひとつの地で成功を掴もうとする思想が大好きなんだ。エネルギーという観点では、ニューヨークに勝る場所はないよ。
ー「KidSuper」のデザインは遊び心に溢れ、とてもポップなタッチが特徴です。このような芸術的なデザインの源は何ですか?
難しい質問だね。僕は常に洋服を通じて、自己表現をしようとしてきた。僕に会ったことある人は、僕が色彩感覚豊かで、遊び心のある人間ということを知っていると思う。「KidSuper」は、僕が好きなもの、興味を抱くもの、突出していると感じるもの、そして会話を生み出すものを編集し、翻訳したブランドと思ってもらえるといいかもね。
ー高校時代は学生寮でTシャツを販売していたそうですね。当時の印象的な思い出を聞かせてください。
覚えているのは、最初のTシャツをニューヨークのストリートウェアショップ『Blaze』に持ち込んだことかな。僕がオーナーにTシャツを見せると、彼は「いいTシャツだね、どこのブランド?」と聞いてきたんだ。僕としては、ブランドはどうでもよくて、Tシャツが気に入ったかどうかが大切だったし、Tシャツもストアも共に良いものであれば需要があると思っていた。でも、彼は執拗に「どこのブランドなの?ブランドの詳細を教えてほしい」と聞いてきた。だから、僕は仲間のもとに戻って「大事なのはブランドやストーリーだけだ!」と嘆いたよ。今思うと、若いうちにそのようなことを学べたのは幸運だったかもね。
ー(ラッパーの)マック・ミラーがアルバム『Blue Slide Park』をリリースする際に、あなたのキャップを被っていたことがターニングポイントのひとつになったんですよね?ちなみに、もし「KidSuper」でマック・ミラーのプレイリストを作成するとしたら、最初の1曲は何にしますか?
そうきたか!そうだね、彼に会ったのは、初めましての場が最初で最後だった。ミュージックビデオの撮影現場だったのだけど、彼が僕に近付いてきて「君がTシャツの子だね!」と声をかけてくれたんだ。彼は僕の服を真剣に全部着てくれて、とても熱狂的だったのを覚えている。当時から有名だった彼が、やんちゃで明るく、楽しそうにしている場所に居合わせたのは、とても素敵な出来事だった。「ミステリアスで、シャイでなくても、クールな男になれるんだ」と思いながら帰路についたのを覚えているよ。プレイリストの最初の1曲は、大学時代によく聴いていた彼の曲のひとつ、“Frick Park Market”にしようかな!
ーあなたが愛するサッカーから学んだことはありますか?スポーツは「PUMA」とのコラボレーションをはじめ、デザインプロセスにも影響を与えていますか? もちろん!「PUMA」とチームアップした理由のひとつは、「PUMA」がペレやマラドーナ、エウゼビオ、クライフといったサッカー史に名を刻む偉大なレジェンドを擁していたからだよ。僕は協力することが好きなんだ。明確な目標を持ち、その目標を達成するために努力する。スポーツはまさに、それを具現化している存在だと思う。
ー「Louis Vuitton」から2023年秋冬コレクションのゲストデザイナーに招かれたことも未だ記憶に新しいかと思います。
パリでの初めてのランウェイショーは、両親に歩いてもらったんだ。ショーの2時間前に伝えたんだけど、信じてもらえなかったね(笑)。ショー直前に母と練習したときは、どこかキマってなかった。だから「ただ踊るのはどう?」と提案すると、母は美しいフラメンコを踊り、ショー全体を彩ってくれた。
「Louis Vuitton」との仕事では、手紙を書いて故郷に送るというコンセプトを掲げていて、その手紙をモチーフにしたアイテムはとても気に入っている。手紙をスーツに落とし込むほど素敵なことはないと思う。数年後も人々に記憶に残るアイテムだろうね。
ーパンデミックも終わり、きっとニューヨークにも観光客が戻ってきていると思います。コルムが拠点を置くブルックリンを満喫するためのオススメスポットを教えてください。
そうだね。まずは「KidSuper Creative Factory」がオープンしていたら、是非遊びに来てほしい!楽しい時間を提供すると約束するよ!
見どころ満載だから好みによるけど、僕の場合はサッカーが好きだけど、ニューヨークでサッカーコートを見つけるのは難しくてね。でも、ブルックリン橋の桟橋に美しいコートがあるんだ。自由の女神を一望しながらプレーできて、あそこは最高だね。映画が好きなら、映画を鑑賞しながら食事ができる「Nitehawk Cinema」もオススメ。あと、よく一緒にサッカーしていた友人が「Cafe Erzulie」というカフェをオープンしたから、そこもリストに入れておいてね。
ーファッション、アート、音楽。コルムと「KidSuper」には無限の可能性を感じます。今後のビジョンや叶えたい夢はありますか?
ブランドを拡大して、世界中に店舗展開したいと思っているよ!僕は多種多様なメディアで活動しているから、テレビ番組なのか、映画なのか、何が起こるかは今後のお楽しみに!