KNOW THE LEDGE / INTERVIEW WITH EDDIE CHACON & JOHN CARROLL KIRBY

KNOW THE LEDGE / INTERVIEW WITH EDDIE CHACON & JOHN CARROLL KIRBY

7月30日のFUJI ROCK FESTIVAL '23(以下、Fuji Rock)への出演のため、久しぶりの来日を果たしたEDDIE CHACONとJOHN CARROLL KIRBY。その熱も冷めやらぬ8月3日、彼らが所属するレーベルSTONES THROWの協力のもと、UNION TOKYOにて2人のインストアライブが開催された。今回は、このスペシャルなひとときの直前に行われた2人のインタビューをお届け。EDDIEに昨今の音楽活動ついて話を聞いたのち、JOHNに着想源だと話すYMOや機材について語ってもらった。

インストアライブのライブレポートはこちらから。
EDDIE CHACON & JOHN CARROLL KIRBY INSTORE LIVE REPORT





―おそらく来日自体が数十年ぶりかと思いますが、いつぶりでしょうか?
EDDIE:1992年か1993年に一度だけ訪れたことがあって、今回が2度目だね。その時はCHARLES & EDDIE(*1990〜97年にEDDIEがCHARLES PETTIGREWと結成していたソウルデュオ)のツアーで、東京や大阪、香港にも行ったかな。
―夏真っ盛りの日本に再び訪れてくださり光栄です。
EDDIE:前回の来日時も夏だったんだけど、日本の夏は狂ってるね(笑)。暑すぎて日中は外出することすらままならないよ。



―それでは、インタビューを進めさせていただければと思うのですが、1992年にCHARLES & EDDIEとしてデビュー後、1997年に活動を休止してフォトグラファーやクリエイティブディレクターとしての道を歩み、2020年から音楽活動を再開されましたが、この経緯を教えてください。
EDDIE:CHARLES & EDDIEとして活動していた時から、自分はもともとクリエイティブな人間だと思っていてね。ある日、クリエイティビティを音楽活動だけに絞る必要はないと気付き、フォトグラフィーでもクリエイティブディレクションでも機会があれば挑戦するようにしていたら、いつの間にかなんでもやる人になっていたんだ。常に自分の鼻(感覚)を頼りにしていて、周りにできることがないかを観察し、機会が現れたら逃さないようにしている。2020年に音楽活動を再開したのも、鼻が利いたからさ。とにかく今は、歳を取れば取るほど永遠に続くものはないと分かったから、これまで以上に周りに感謝しながら楽しんでいるよ。

―音楽シーンにとどまらず他のシーンにも足を伸ばしたことは、現在の音楽活動にプラスの影響をもたらしていると感じますか?
EDDIE:再開当初は気付けなかったんだけど、2020年に初のソロアルバム『PLEASURE, JOY AND HAPPINESS』を制作している終盤に、多くの楽曲を1つのアルバムにまとめる作業が、2〜3年働いていた「AUTRE MAGAZINE」での経験に近いものを感じたね。違う分野で得た新しいスキルは、いろいろな場面で役立っていると思うよ。



―音楽活動の再開は、やはりJOHNの存在が大きいのでしょうか?
EDDIE:100%、JOHNのおかげだと言い切っていい。JOHNがいなければ、再び僕が歌うことはなかったと思うよ。彼との出会いこそが、長年待ち望んでいたことだったんだ。というのも正直な話、レベルが高い作品を作ることができないのであれば、音楽活動なんて辞めてしまえばいいと思っていた。でも、JOHNと出会ったことで今までの自分にはなかったフレッシュな音楽が作り出せるようになったし、今もできている。彼と彼の音楽には、最大級の賛辞を送りたいね。

―活動再開後、JOHNも在籍するレーベルSTONES THROWと契約されましたが、これも彼の影響が?
EDDIE:JOHNがいたのも大きいけど、そのちょっと前からSTONES THROWのオーナーPEANUT BUTTER WOLF(以下、PBW)とINSTAGRAM経由で仲良くなったんだ。それで、『PLEASURE, JOY AND HAPPINESS』が完成する直前に、「もうちょっとでアルバムをリリースしようと思っていて、ひとまず聴いてみてよ」って音源を送ったら、次の日にはSTONES THROWから契約のオファーがあったのさ。



―とても今っぽい話ですね。
EDDIE:本当にそう思うよ。世代が近くて、出身地も近くて、互いにヒップホップシーンで共通の友人が多かったから、1年くらいDMが続いていたんじゃないかな。でも実は、2010年くらいにロサンゼルスかどっかのクラブでPBWを見かけたことがあったんだけど、その時は話かけずらくて話しかけられなかったんだ(笑)。

―DMの件も含めて、1980〜90年代と2020年代の音楽シーンでは環境が全く異なりますが、だからこそ面白い点や違和感はありますか?
EDDIE:当事者としても局外者としても見ていて思うのは、人はいつだってオーセンティックでリアルな“本当の意味で良い音楽”が好きなんだよね。そういった音楽は、時代も年代も越えて聴かれ続ける。特に今の時代は、いろいろなものが溢れてノイズにまみれているけど、オーセンティックでリアルなことがフィルターになり得て、いつまでも残り続けるんだ。

―3月には、STONES THROWから2ndアルバム『SUNDOWN』をリリースされていましたが、リアクションはいかがでしたか?
EDDIE:前作から時間が空いたこともあって少し路線を変更したんだけど、それでも多くの人が自分の音楽を聴いてくれて、本当にラッキーだと思うよ。ありがとう。

―次回作や進行中のプロジェクトなどについて、もし現段階で話せることがあれば教えてください。
EDDIE:18年間、CBS RECORDSやEMI RECORDS、SBK RECORDS、UNIVERSAL MUSICなどのスタッフソングライターとして働いていた経験を生かして、これからはもっと他のミュージシャンと曲作りをしたいと考えているんだ。最近だと、PREPっていうUKバンドと曲を作ったんだけど、彼らのHARRY STYLESのカバーはとても良くて、よくUKのラジオで流れているね。他にもTOM MISCHやJOEL CULPEPPER、NICK HAKIMと仕事をしたり、昨日ちょうどHOT CHIPに声をかけたよ。昔を思い出すし、やっぱり他のアーティストと仕事できるのは嬉しいね。



―最後に、UNIONはセレクトショップなのでファッションについての質問をひとつ。自分なりのこだわりや考え方はありますか?
EDDIE:自分はあらゆる形態のクリエイティブなアートが好きで、ファッションはそれらを拡張するものであると同時に、全てを包括するもので、それが素敵だと思う。音楽と同様に、僕は日々起こることに注意を払いながらスタイルを進化させていて、自分に合うものを組み合わせながら「これがEDDIE CHACONさ」と言えるような格好が好きだね。

―ありがとうございます。ちょうどJOHN CARROLL KIRBYがインストアライブのサウンドチェックを終えたようなので、ここからは少しの時間ですが彼も交えたインタビューができればと思います。まずは、出会いのきっかけを教えてください。
EDDIE:確か、2020年?
JOHN:いや、2018年か2019年だと思うよ。
EDDIE:TERRIBLE RECORDSというレーベルに共通の知り合いの男性がいて、僕が友人のミュージシャンの仕事を手伝っている時にその彼とミーティングをしたんだけど、その数日後に「音楽業界に戻ってこないか?そして、君に合いそうな人物を紹介したい」って電話をくれてね。それで紹介してもらったのが、何を隠そうJOHNだったんだ。2人でコーヒーを飲んでいたら、気付けば3時間以上も経っていて、そのまま一緒に車でJOHNの家に向かい、しばらくジャムセッションをした。これがEDDIE CHACONとJOHN CARROLL KIRBYの出会いだね。



―では、出会ったその日に楽曲制作の話になったのでしょうか?
EDDIE:そうだね。ジャムセッション中に、『PLEASURE, JOY AND HAPPINESS』を方向付けるテンプレートのような曲が出来たんだ。そこからのアルバム制作はとてもスムーズで、僕らの間にはいつも魔法のような素敵なバイブスが流れているのさ。

―それだけ波長が合うと、プライベートでもかなりの時間を過ごしていそうですね。
JOHN:もちろん!音楽を作る時間よりも、遊んでいることの方が多いくらいだよ。

―先日のFuji RockではJOHNのステージにEDDIEが登場し、その逆もありました。率直に感想をお伺いできればと思います。
EDDIE:あれだけ大勢の人の前で歌うのは、CHARLES & EDDIEとして活動していた1990年代ぶりで、とにかく感動したしエキサイティングだったよ。JOHNのことはずっと前から天才だと思っていたけど、日本のファンから愛と感謝が向けられている姿を目の当たりにして、思わず感情が溢れてしまった。それに、ロサンゼルスから来てくれた友達も客席にいて、知った顔を見ながら日本の山奥でパフォーマンスをするっていうのは、かなりスペシャルな経験だったね。おっと、ちょっとスペシャルライブの用意をしなきゃいけないから、僕はここで抜けるね。
JOHN:OK、またあとで。Fuji Rockでのパフォーマンスは、僕の人生で1番と言っても良いほどに素晴らしくてインパクトがあるものだったよ。ただ、当日は朝5時に東京を出発して、4時間も車に乗って、到着したらすぐにホテルにチェックインして、シャワーを浴びて、サウンドチェックをしてって、常にバタバタしていたからパフォーマンスを振り返る時間がなかった。それに僕は、大勢の人の前に立つと奇妙なことに虚しい感覚に陥ってしまって、その反動が次の日にブワッと来るんだけど、半日くらいは床の上で泣き続けてしまった。それくらい、本当に美しくて力強いものだったんだ。



―2023年に故・高橋幸宏さんと故・坂本龍一さんの訃報があった中で、Fuji Rockでは故・坂本さんの「Merry Christmas Mr.Lawrence」とYMOの「RYDEEN」をパフォーマンスされていましたね。
JOHN:Fuji Rock でのパフォーマンスを通じて、音楽の偉人たちにトリビュートを捧げたかったんだ。YMOは音楽的に天才だし、特にサカモトさんは日本国内だけでなく海外のコミュニティーでも日本人を代表する存在だったと思う。だから、今回は彼らが成し遂げてきたことに対して、僕ができる最大限の敬意を払ったつもりさ。「RYDEEN」は単独公演のセットリストに入れることも多いんだけど、なんだろう......YMOの楽曲はエモーショナルで、面白くて、ハッピーで、メランコリックなんだ。確実に言えることは、YMOは自分にとって重要なインスピレーションで、特に遊び心の部分が大きいね。

―YMOから重要なインスピレーションがあったとのことですが、自身の音楽スタイルにどのような影響を与えたと思いますか?
JOHN:さっきも話したようにYMOから遊び心に関する影響を受けていることは間違いない。10年くらい前に知ったんだけど、遊び心があると同時に音楽的にハイレベルかつシリアスだよね。サカモトさんもタカハシさんもホソノさんも、YMOでの活動として1970〜80年代に傑作をリリースしただけじゃなくて、映画音楽も、テクノも、ハウスも、アンビエントも、ディスコも、シティポップも、J-POPも“全部”やっていて、そのどれもが完成度が高いなんてすごすぎるよ。

―ちなみに、Fuji Rock は初出演だったんですよね?
JOHN:一応アーティストとしては初めてだけど、2007年にMONEY MARK(*BEASTIE BOYSのキーボーディストも務めた音楽プロデューサー)のサポートでステージに立ったことはあるんだ。その時は、ハイキングしていたら熊を見たね。



―そうだったんですね!それでは、6月にリリースしたばかりの最新アルバム『BLOWOUT』について話を聞きたいのですが、リアクションはいかがでしたか?
JOHN:たくさんのポジティブなフィードバックがあって、Fuji Rockでの反応も良かったし晴れ晴れとした気分だね。僕にとってアルバムをリリースするというのは最後のプロセスで、ジャングルに動物を放つように今は開放的な感覚だよ。暑い日やドライブに合う作品なんじゃないかな。日本の夏はロサンゼルスと違って、湿気がすごくて暑すぎるけど(笑)。

―『BLOWOUT』は前作『DANCE ANCESTRAL』から約1年2カ月でリリースされたりと、2020年にSTONES THROWと契約してから作品の間隔が狭まったように感じますが(STONES THROWとの契約前は3年で3作。契約後は3年で6作)、改めて契約の理由を教えてください。
JOHN:STONES THROWの前はLEAVING RECORDSと契約していたんだけど、LEAVING RECORDSはSTONES THROWの傘下で、オーナーが契約を後押ししてくれたんだ。それにSTONES THROWとサインする時、「アクティブにいろいろな音楽をリリースしたい」って伝えたら、可能な限りサポートしてくれることを約束してくれてね。というのも、STONES THROWは僕だけと契約しているわけじゃないから、どのアーティストにも平等にチャンスを与える必要があって、僕だけがアクティブに作品をリリースし続けるのは難しいと思ったんだけど、この要望を受けてくれたのが決定打だったかな。僕は作品を作る上では思う存分自由にやりたいし、1枚のアルバムに対して「これは絶対マスターピースだ!」って決めつけるよりも、自分で演奏して、レコーディングして、プロデュースして、ミックスして、マスタリングして、クリエイションを突き詰めていきたいんだよ。



―楽曲制作として並行して、2023年はアジアでの活動に重きを置いているようですが、この理由は?
JOHN:パンデミックがアジアで始まったから、ロックダウンが終わるのも他の地域より遅くて、海外のミュージシャンのライブを楽しめない期間が長かったんだ。だからこそ、アジアのどの国も3〜4年ぶりのライブを待ち侘びていた熱狂的なバイブスがあって、それに応えたい気持ちだね。あと、日本はリスペクトを持って接してくれるから、いつ来ても嬉しい気分になるよ。



―最後に、ステージで使用している機材を特別に公開してくださるそうですね。
特別だよ?(笑)。1年半くらいずっと同じセットを使用していて、2022年に日本の音楽フェスFFKTに出演した時もこのセットだったね。 RHODESのMARKシリーズは愛用していて、使い勝手が良くて音もクールだし、実際のピアノのような構造になっているのが僕にとって重要なんだ。その上に置いてあるのはキーボードで、今はROLANDのJUNO-DSを使っているけど、これに関してはあまりこだわりがないね。レコーディングの時は、アナログシンセサイザーのBEHRINGERのMODEL Dのリイシューモデルも使っていて、他のものと音が全く違うわけではないんだけど、感覚的には全然違う。そして、全ての脳と言えるのが同じくROLANDのTR-909かな。もしこれがダメになったら全てが台無しになってしまう貴重なもの。ドラム、コード、ベース、全ての神が宿っていて、それを僕がミックスすることでみんなに音楽を届けているんだ。



JOHN CARROLL KIRBY氏 本人目線のセットアップ



世界中どの公演にも持ち寄り相棒の様に使用している機材の名機
Rhodes Piano Mark II Stage 54



氏の公演に必要不可欠のサンプラーマシン
elektron octatrack mkii



70年に発売された Moog Minimoog を再現した
アナログシンセサイザーのBEHRINGER Model D


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7月30日のFUJI ROCK FESTIVAL '23(以下、Fuji Rock)への出演のため、久しぶりの来日を果たしたEDDIE CHACONとJOHN CARROLL KIRBY。その熱も冷めやらぬ8月3日、彼らが所属するレーベルSTONES THROWの協力のもと、UNION TOKYOにて2人のインストアライブが開催された。今回は、このスペシャルなひとときの直前に行われた2人のインタビューをお届け。EDDIEに昨今の音楽活動ついて話を聞いたのち、JOHNに着想源だと話すYMOや機材について語ってもらった。

インストアライブのライブレポートはこちらから。
EDDIE CHACON & JOHN CARROLL KIRBY INSTORE LIVE REPORT





―おそらく来日自体が数十年ぶりかと思いますが、いつぶりでしょうか?
EDDIE:1992年か1993年に一度だけ訪れたことがあって、今回が2度目だね。その時はCHARLES & EDDIE(*1990〜97年にEDDIEがCHARLES PETTIGREWと結成していたソウルデュオ)のツアーで、東京や大阪、香港にも行ったかな。
―夏真っ盛りの日本に再び訪れてくださり光栄です。
EDDIE:前回の来日時も夏だったんだけど、日本の夏は狂ってるね(笑)。暑すぎて日中は外出することすらままならないよ。



―それでは、インタビューを進めさせていただければと思うのですが、1992年にCHARLES & EDDIEとしてデビュー後、1997年に活動を休止してフォトグラファーやクリエイティブディレクターとしての道を歩み、2020年から音楽活動を再開されましたが、この経緯を教えてください。
EDDIE:CHARLES & EDDIEとして活動していた時から、自分はもともとクリエイティブな人間だと思っていてね。ある日、クリエイティビティを音楽活動だけに絞る必要はないと気付き、フォトグラフィーでもクリエイティブディレクションでも機会があれば挑戦するようにしていたら、いつの間にかなんでもやる人になっていたんだ。常に自分の鼻(感覚)を頼りにしていて、周りにできることがないかを観察し、機会が現れたら逃さないようにしている。2020年に音楽活動を再開したのも、鼻が利いたからさ。とにかく今は、歳を取れば取るほど永遠に続くものはないと分かったから、これまで以上に周りに感謝しながら楽しんでいるよ。

―音楽シーンにとどまらず他のシーンにも足を伸ばしたことは、現在の音楽活動にプラスの影響をもたらしていると感じますか?
EDDIE:再開当初は気付けなかったんだけど、2020年に初のソロアルバム『PLEASURE, JOY AND HAPPINESS』を制作している終盤に、多くの楽曲を1つのアルバムにまとめる作業が、2〜3年働いていた「AUTRE MAGAZINE」での経験に近いものを感じたね。違う分野で得た新しいスキルは、いろいろな場面で役立っていると思うよ。



―音楽活動の再開は、やはりJOHNの存在が大きいのでしょうか?
EDDIE:100%、JOHNのおかげだと言い切っていい。JOHNがいなければ、再び僕が歌うことはなかったと思うよ。彼との出会いこそが、長年待ち望んでいたことだったんだ。というのも正直な話、レベルが高い作品を作ることができないのであれば、音楽活動なんて辞めてしまえばいいと思っていた。でも、JOHNと出会ったことで今までの自分にはなかったフレッシュな音楽が作り出せるようになったし、今もできている。彼と彼の音楽には、最大級の賛辞を送りたいね。

―活動再開後、JOHNも在籍するレーベルSTONES THROWと契約されましたが、これも彼の影響が?
EDDIE:JOHNがいたのも大きいけど、そのちょっと前からSTONES THROWのオーナーPEANUT BUTTER WOLF(以下、PBW)とINSTAGRAM経由で仲良くなったんだ。それで、『PLEASURE, JOY AND HAPPINESS』が完成する直前に、「もうちょっとでアルバムをリリースしようと思っていて、ひとまず聴いてみてよ」って音源を送ったら、次の日にはSTONES THROWから契約のオファーがあったのさ。



―とても今っぽい話ですね。
EDDIE:本当にそう思うよ。世代が近くて、出身地も近くて、互いにヒップホップシーンで共通の友人が多かったから、1年くらいDMが続いていたんじゃないかな。でも実は、2010年くらいにロサンゼルスかどっかのクラブでPBWを見かけたことがあったんだけど、その時は話かけずらくて話しかけられなかったんだ(笑)。

―DMの件も含めて、1980〜90年代と2020年代の音楽シーンでは環境が全く異なりますが、だからこそ面白い点や違和感はありますか?
EDDIE:当事者としても局外者としても見ていて思うのは、人はいつだってオーセンティックでリアルな“本当の意味で良い音楽”が好きなんだよね。そういった音楽は、時代も年代も越えて聴かれ続ける。特に今の時代は、いろいろなものが溢れてノイズにまみれているけど、オーセンティックでリアルなことがフィルターになり得て、いつまでも残り続けるんだ。

―3月には、STONES THROWから2ndアルバム『SUNDOWN』をリリースされていましたが、リアクションはいかがでしたか?
EDDIE:前作から時間が空いたこともあって少し路線を変更したんだけど、それでも多くの人が自分の音楽を聴いてくれて、本当にラッキーだと思うよ。ありがとう。

―次回作や進行中のプロジェクトなどについて、もし現段階で話せることがあれば教えてください。
EDDIE:18年間、CBS RECORDSやEMI RECORDS、SBK RECORDS、UNIVERSAL MUSICなどのスタッフソングライターとして働いていた経験を生かして、これからはもっと他のミュージシャンと曲作りをしたいと考えているんだ。最近だと、PREPっていうUKバンドと曲を作ったんだけど、彼らのHARRY STYLESのカバーはとても良くて、よくUKのラジオで流れているね。他にもTOM MISCHやJOEL CULPEPPER、NICK HAKIMと仕事をしたり、昨日ちょうどHOT CHIPに声をかけたよ。昔を思い出すし、やっぱり他のアーティストと仕事できるのは嬉しいね。



―最後に、UNIONはセレクトショップなのでファッションについての質問をひとつ。自分なりのこだわりや考え方はありますか?
EDDIE:自分はあらゆる形態のクリエイティブなアートが好きで、ファッションはそれらを拡張するものであると同時に、全てを包括するもので、それが素敵だと思う。音楽と同様に、僕は日々起こることに注意を払いながらスタイルを進化させていて、自分に合うものを組み合わせながら「これがEDDIE CHACONさ」と言えるような格好が好きだね。

―ありがとうございます。ちょうどJOHN CARROLL KIRBYがインストアライブのサウンドチェックを終えたようなので、ここからは少しの時間ですが彼も交えたインタビューができればと思います。まずは、出会いのきっかけを教えてください。
EDDIE:確か、2020年?
JOHN:いや、2018年か2019年だと思うよ。
EDDIE:TERRIBLE RECORDSというレーベルに共通の知り合いの男性がいて、僕が友人のミュージシャンの仕事を手伝っている時にその彼とミーティングをしたんだけど、その数日後に「音楽業界に戻ってこないか?そして、君に合いそうな人物を紹介したい」って電話をくれてね。それで紹介してもらったのが、何を隠そうJOHNだったんだ。2人でコーヒーを飲んでいたら、気付けば3時間以上も経っていて、そのまま一緒に車でJOHNの家に向かい、しばらくジャムセッションをした。これがEDDIE CHACONとJOHN CARROLL KIRBYの出会いだね。



―では、出会ったその日に楽曲制作の話になったのでしょうか?
EDDIE:そうだね。ジャムセッション中に、『PLEASURE, JOY AND HAPPINESS』を方向付けるテンプレートのような曲が出来たんだ。そこからのアルバム制作はとてもスムーズで、僕らの間にはいつも魔法のような素敵なバイブスが流れているのさ。

―それだけ波長が合うと、プライベートでもかなりの時間を過ごしていそうですね。
JOHN:もちろん!音楽を作る時間よりも、遊んでいることの方が多いくらいだよ。

―先日のFuji RockではJOHNのステージにEDDIEが登場し、その逆もありました。率直に感想をお伺いできればと思います。
EDDIE:あれだけ大勢の人の前で歌うのは、CHARLES & EDDIEとして活動していた1990年代ぶりで、とにかく感動したしエキサイティングだったよ。JOHNのことはずっと前から天才だと思っていたけど、日本のファンから愛と感謝が向けられている姿を目の当たりにして、思わず感情が溢れてしまった。それに、ロサンゼルスから来てくれた友達も客席にいて、知った顔を見ながら日本の山奥でパフォーマンスをするっていうのは、かなりスペシャルな経験だったね。おっと、ちょっとスペシャルライブの用意をしなきゃいけないから、僕はここで抜けるね。
JOHN:OK、またあとで。Fuji Rockでのパフォーマンスは、僕の人生で1番と言っても良いほどに素晴らしくてインパクトがあるものだったよ。ただ、当日は朝5時に東京を出発して、4時間も車に乗って、到着したらすぐにホテルにチェックインして、シャワーを浴びて、サウンドチェックをしてって、常にバタバタしていたからパフォーマンスを振り返る時間がなかった。それに僕は、大勢の人の前に立つと奇妙なことに虚しい感覚に陥ってしまって、その反動が次の日にブワッと来るんだけど、半日くらいは床の上で泣き続けてしまった。それくらい、本当に美しくて力強いものだったんだ。



―2023年に故・高橋幸宏さんと故・坂本龍一さんの訃報があった中で、Fuji Rockでは故・坂本さんの「Merry Christmas Mr.Lawrence」とYMOの「RYDEEN」をパフォーマンスされていましたね。
JOHN:Fuji Rock でのパフォーマンスを通じて、音楽の偉人たちにトリビュートを捧げたかったんだ。YMOは音楽的に天才だし、特にサカモトさんは日本国内だけでなく海外のコミュニティーでも日本人を代表する存在だったと思う。だから、今回は彼らが成し遂げてきたことに対して、僕ができる最大限の敬意を払ったつもりさ。「RYDEEN」は単独公演のセットリストに入れることも多いんだけど、なんだろう......YMOの楽曲はエモーショナルで、面白くて、ハッピーで、メランコリックなんだ。確実に言えることは、YMOは自分にとって重要なインスピレーションで、特に遊び心の部分が大きいね。

―YMOから重要なインスピレーションがあったとのことですが、自身の音楽スタイルにどのような影響を与えたと思いますか?
JOHN:さっきも話したようにYMOから遊び心に関する影響を受けていることは間違いない。10年くらい前に知ったんだけど、遊び心があると同時に音楽的にハイレベルかつシリアスだよね。サカモトさんもタカハシさんもホソノさんも、YMOでの活動として1970〜80年代に傑作をリリースしただけじゃなくて、映画音楽も、テクノも、ハウスも、アンビエントも、ディスコも、シティポップも、J-POPも“全部”やっていて、そのどれもが完成度が高いなんてすごすぎるよ。

―ちなみに、Fuji Rock は初出演だったんですよね?
JOHN:一応アーティストとしては初めてだけど、2007年にMONEY MARK(*BEASTIE BOYSのキーボーディストも務めた音楽プロデューサー)のサポートでステージに立ったことはあるんだ。その時は、ハイキングしていたら熊を見たね。



―そうだったんですね!それでは、6月にリリースしたばかりの最新アルバム『BLOWOUT』について話を聞きたいのですが、リアクションはいかがでしたか?
JOHN:たくさんのポジティブなフィードバックがあって、Fuji Rockでの反応も良かったし晴れ晴れとした気分だね。僕にとってアルバムをリリースするというのは最後のプロセスで、ジャングルに動物を放つように今は開放的な感覚だよ。暑い日やドライブに合う作品なんじゃないかな。日本の夏はロサンゼルスと違って、湿気がすごくて暑すぎるけど(笑)。

―『BLOWOUT』は前作『DANCE ANCESTRAL』から約1年2カ月でリリースされたりと、2020年にSTONES THROWと契約してから作品の間隔が狭まったように感じますが(STONES THROWとの契約前は3年で3作。契約後は3年で6作)、改めて契約の理由を教えてください。
JOHN:STONES THROWの前はLEAVING RECORDSと契約していたんだけど、LEAVING RECORDSはSTONES THROWの傘下で、オーナーが契約を後押ししてくれたんだ。それにSTONES THROWとサインする時、「アクティブにいろいろな音楽をリリースしたい」って伝えたら、可能な限りサポートしてくれることを約束してくれてね。というのも、STONES THROWは僕だけと契約しているわけじゃないから、どのアーティストにも平等にチャンスを与える必要があって、僕だけがアクティブに作品をリリースし続けるのは難しいと思ったんだけど、この要望を受けてくれたのが決定打だったかな。僕は作品を作る上では思う存分自由にやりたいし、1枚のアルバムに対して「これは絶対マスターピースだ!」って決めつけるよりも、自分で演奏して、レコーディングして、プロデュースして、ミックスして、マスタリングして、クリエイションを突き詰めていきたいんだよ。



―楽曲制作として並行して、2023年はアジアでの活動に重きを置いているようですが、この理由は?
JOHN:パンデミックがアジアで始まったから、ロックダウンが終わるのも他の地域より遅くて、海外のミュージシャンのライブを楽しめない期間が長かったんだ。だからこそ、アジアのどの国も3〜4年ぶりのライブを待ち侘びていた熱狂的なバイブスがあって、それに応えたい気持ちだね。あと、日本はリスペクトを持って接してくれるから、いつ来ても嬉しい気分になるよ。



―最後に、ステージで使用している機材を特別に公開してくださるそうですね。
特別だよ?(笑)。1年半くらいずっと同じセットを使用していて、2022年に日本の音楽フェスFFKTに出演した時もこのセットだったね。 RHODESのMARKシリーズは愛用していて、使い勝手が良くて音もクールだし、実際のピアノのような構造になっているのが僕にとって重要なんだ。その上に置いてあるのはキーボードで、今はROLANDのJUNO-DSを使っているけど、これに関してはあまりこだわりがないね。レコーディングの時は、アナログシンセサイザーのBEHRINGERのMODEL Dのリイシューモデルも使っていて、他のものと音が全く違うわけではないんだけど、感覚的には全然違う。そして、全ての脳と言えるのが同じくROLANDのTR-909かな。もしこれがダメになったら全てが台無しになってしまう貴重なもの。ドラム、コード、ベース、全ての神が宿っていて、それを僕がミックスすることでみんなに音楽を届けているんだ。



JOHN CARROLL KIRBY氏 本人目線のセットアップ



世界中どの公演にも持ち寄り相棒の様に使用している機材の名機
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